皇居正門石橋と伏見櫓 Pierre Blaché/CC0第一天皇の地位
日本の歴史を通じて、天皇は権力を振るう存在ではありませんでした。 政治の実権は、摂関家に、武家に、そして近代の政府へと移っていきます。 にもかかわらず、皇位を奪って自ら王朝を建てようとした者は、ついに現れませんでした。
鎌倉、室町、江戸の武家政権も、天下を握ったあとに天皇から征夷大将軍の官を受けています。 力を持つ者が、なお正統性を天皇に求めた。 権威と権力を分けたこの形が、王朝の交替を防いだのです。 世界の歴史を見渡せば、これはきわめて稀なことです。
日本国憲法は、第一条で天皇の地位をこう定めています。
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
「象徴」という語は戦後に置かれたものですが、 天皇が力ではなく権威として国の中心にあるという姿そのものは、古くからの形です。 条文は新しく、そこに書き留められた実質は古い。そう読むべきところです。
続く第二条が、皇位の継承を定めます。
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
皇位が世襲であることは憲法が定め、誰がどの順で継承するかは皇室典範という法律が定める。 この二段の構えになっています。
天皇の行為については、第四条が「この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めます。 内閣総理大臣の任命、法律や条約の公布、国会の召集、衆議院の解散、栄典の授与、外国の大使や公使の接受などが国事行為にあたり、 そのすべてに内閣の助言と承認が必要で、責任は内閣が負います(第三条)。
天皇は政治の外におられます。 だからこそ、政策上の主張を通すために天皇や皇族の御意向を持ち出すことは、 立場の左右にかかわらず、あってはならないことです。 皇室をお守りするとは、皇室を政争の具にしないということでもあります。
第二万世一系ということ
万世一系とは、一つの系統が絶えることなく続いてきたことをいいます。 皇統は天皇の血統を指し、皇位は父方をたどって皇統につながる者、 すなわち男系によって受け継がれてきました。
宮内庁が公表する天皇系図は神武天皇を初代とし、今上陛下は第百二十六代にあたります。 伝承は神武天皇の御即位を紀元前六六〇年に置きます。 現存する君主の家系として、世界で最も長い歴史をもつとされます。
この語の典拠は大日本帝国憲法第一条にあります。 語の出どころと、旧憲法から現行憲法への引き継ぎは万世一系とは何かで詳しく扱いました。
皇位は皇統の外へ出なかった
この長さよりも重いのは、その間ひとたびも皇位が皇統の外に出ていないという事実です。 いくつか、その節目を挙げます。
第二十六代 継体天皇は、近い血筋が絶えたのち、越前から迎えられました。 応神天皇の五世の孫と伝わる、遠い縁の方です。 それでもなお皇統の内から迎えるという原則が貫かれた。 近さより、系統そのものが重んじられたということです。
第四十八代 称徳天皇の御代には、皇統に属さない僧が皇位に就こうとする動きがありましたが、 これは退けられました。 皇位が実力や寵愛で動くものではないことが、このとき示されています。
承久の乱では、幕府が上皇を配流し、天皇を退位させるまでに至ります。 それほど朝廷の力が衰えた場面でも、次の天皇は皇統の内から立てられました。 武家は皇位に手を伸ばさなかったのです。
南北朝の分立も、皇統の内部で朝廷が二つに分かれたということであって、 王朝が交替したのではありません。
女系の例は一度もない
歴史上、女性天皇は八方おられ、重祚を含めて十代を数えます。 推古天皇、皇極天皇、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇、明正天皇、後桜町天皇。 この八方はいずれも、父方をたどって皇統につながる男系の女子です。
母方を通じて皇位が継がれた例、すなわち女系による継承は、 初代から今日まで、一度もありません。 全126代のどこにも現れないのです。皇統系図で、一代ずつ確かめていただけます。
「女性天皇」と「女系天皇」を同じことのように語る説明が広く流布していますが、 この二つはまったく別のことがらです。 八方の女性天皇がおられたことは、女系継承の先例には決してなりません。
伝承と実証について
初期の天皇について、『古事記』『日本書紀』の記述をそのまま年代として扱えるかどうかは、 文献史学と考古学の側で議論があります。 当会は、伝承を実証済みの史実として提示することはしません。
同時に、こう申し上げます。 その議論は、皇統が受け継がれてきたことを否定する根拠にはなりません。 個々の代の年代をめぐる学術上の詰めと、皇位が一つの系統に伝えられてきたという事実は、 別の層の話です。 そして建国の伝承は、この国が自らをどう理解してきたかという歴史そのものであって、 実証の対象としてのみ扱えば、その意味を取り落とします。
層を分けて語ることは、腰が引けているのではありません。 混ぜて語るほうが、かえって崩されやすいのです。
第三皇統の継承
現行の皇室典範は、第一条で継承資格を「皇統に属する男系の男子」と定め、 第二条で第一順位から第七順位までを明文で列挙しています。 男系による継承は、明治の旧皇室典範で初めて明文化されましたが、 条文が作られる前から、それが実際に行われてきたことでした。 法が慣行を追認したのであって、法が慣行を作ったのではありません。
条文と現在の継承順位の対応は皇位継承の資格と順位はどう定まっているかに置きました。
譲位
かつて譲位の例は多くありましたが、江戸時代後期の光格天皇を最後に長く途絶えていました。 令和への御代替わりは、天皇の退位等に関する皇室典範特例法という一代限りの立法によるもので、 皇室典範の本則を改めたものではありません。

第四都と皇居
都は、時代とともに移ってきました。 飛鳥から奈良へ、そして七九四年の平安京以降、長く京都に置かれます。 京都御所の紫宸殿は、大正天皇と昭和天皇の即位の礼が行われた場所です。 白砂の南庭に面した簡素な構えに、この国の美意識がそのまま残っています。
明治二年に東京へ移り、以後の皇居は旧江戸城の地にあります。 堀にかかる正門石橋と、その奥に立つ伏見櫓。 これらは江戸城から受け継がれた景観です。 武家の城が、そのまま皇居となった。ここにも、この国のありようが表れています。


第五祈りといういとなみ
宮中では、年間を通じて祭祀が続けられています。 その多くは、稲に関わります。
その年の新穀を神々に供え、天皇みずから召される新嘗祭は、十一月二十三日に行われます。 いまの勤労感謝の日は、この日にあたります。 御代替わりに際して一度だけ行われる大嘗祭は、即位に伴う儀式のなかで最も重いものとされます。
昭和天皇の御代から、皇居のうちに水田が設けられ、 天皇みずから田植えと稲刈りをなさる慣わしが続いています。 国の中心におられる方が、稲を育て、稔りを神に供え、民のために祈る。 千年を超えて繰り返されてきたこのいとなみが、 この国の一年の区切りを今も形づくっています。
宮中祭祀は国事行為ではなく、天皇の私的な行為として行われています。 憲法が政教分離を定めていることとの関係で、この位置づけが取られています。
このほか、年の初めの歌会始と講書始、新年と天皇誕生日の一般参賀、 各地への行幸啓、被災地へのお見舞いが続けられています。 災害のたびに膝を折って被災者と同じ高さで言葉を交わされる姿を、 私たちは繰り返し目にしてきました。

第六元号
元号は元号法(昭和五十四年法律第四十三号)に根拠があり、条文は二つだけです。
元号は、政令で定める。
元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
一代のうちに元号を改めない一世一元の仕組みは、明治元年の詔にはじまります。 それ以前は、慶事や災異、干支の節目などを理由に、一代のうちでも改元が行われていました。
年を西暦だけでなく元号でも数えるという習わしは、 時の流れを御代とともに区切ってきたということです。 元号を用いることは、そのまま皇統とともに歩んできた時間の数え方を用いることでもあります。
第七いま置かれている課題
皇族の数が減っています。 令和八年七月に成立した改正皇室典範は、この課題に対応するもので、 同年十月二十四日に施行されます。 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を離れないこととする措置と、 皇族の養子縁組を可能とする措置の二つが柱です。
皇位継承資格を「皇統に属する男系の男子」と定める第一条は改められていません。 女性天皇・女系天皇の是非は、今回の改正の対象外とされました。 改正の内容は2026年の皇室典範改正で変わること・変わらないことに整理しています。
若い世代で皇位継承資格をお持ちなのは悠仁親王殿下お一人です。 この状態が続けば、二千年を超えて受け継がれてきたものが、 私たちの代で細るということになります。 それは制度の問題であって、どなたか個人の責に帰すべきことではありません。
当会が一つひとつの言説を検証して記録しているのは、ここに理由があります。 皇統をめぐる議論は、事実の上でなされなければなりません。 誤った前提から出発した議論は、どれほど熱意があっても、 守るべきものを守れません。
出典
- 〔法令〕日本国憲法(昭和二十一年憲法)
- 〔法令〕皇室典範(昭和二十二年法律第三号)
- 〔法令〕元号法(昭和五十四年法律第四十三号)
- 〔公式発表〕天皇系図
- 〔公式発表〕皇室の歴史を知る
- 〔公式発表〕皇室の構成
- 〔公式発表〕皇室典範等の一部を改正する法律案(第二二一回国会 閣法第六四号)
画像の出所
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